「アケルダマ」 主イエス・キリストを銀貨三十枚で祭司長たちに売り渡 した裏切り者のイスカリオテのユダは、諸説によると、 首を吊り自殺したとも、身体が真ん中から裂けてはらわ たが飛び出て死んだとも、投身自殺をしたともされる。 いずれにせよ、イスカリオテのユダが結末を迎えた地 は、「血の地所」と呼ばれるようになった。 かの国の言語で「アケルダマ」と呼ぶのである。












これはしがない神父の戯言だと思ってもらい構いません。
どなたに読まれるのかなど、わたくしには一切関係もないのです。
ただ、わたくしというものがいかに狂って行ったのかを整理するために書かれたようなものです。神仕えるものとして、あるまじきわたくしを、いまここで、主なる神に懺悔してから告白させていただきます。

天にましますわれらの神よ、この世に自らの思いのたけをぶつけ、吐露する愚かな子羊にあなたさまの慈悲をお与えください。そして、天の園にて永遠の命を得たアレクサンドラ・ヴィクトリア・ザカリアスに栄光の祝福をお与えください。主キリストの名において。
アーメン。

わたくしはこれでも、元軍人なのです。
貧しい街の一角に生まれたわたくしの取り柄と言えば、健康と幸いにも生まれ持つことを許された頑強な身体だけでした。生きるために、わたくしは軍へ入り、ようやくそこで、暖かい寝床と暖かい食事を満足に得る場を手に入れました。
貧困に喘いでいたわたくしにとって、軍はたったひとつの生きる道だったのです。
それでも、生きる希望というものが、わたくしには光が、ありました。
アレクサンドラ。
彼女はわたくしの光そのものでした。
彼女は美しかった。
白い肌に、白い髪に、青い瞳の、それはそれは天使と見紛うほどの美しい女性でした。
彼女は、アルビノでした。
アレクサンドラ・ヴィクトリア・ザカリアス。
照れますが、わたくしの恋人です。
軍に入り、国のために働く。そして、彼女といっしょに家族になり、幸せに暮らす。こうやって、わたくしは生きていくのだとそして死ぬのだと何度も思いました。そして、何度も彼女と約束をした。
いつか小さな家と庭を買って。いつか軍をやめて、のんびりとした仕事に就きたい。いつか子どもを成して。ごくごく平凡に、ごくごくつつがなく、暮らしていくんだ。おはよう、いただきます、いってらっしゃい、いってきます、ただいま、おやすみなさい、ありがとう、きをつけて、……………どこにでもあるような言葉で毎日を過ごすんだ。わたしが思い描く幸せな家族と言うのは、そういうものでした。
アレクサンドラは敬虔な神の信徒でありました。わたくしのように貧困に喘ぐ子どもたちのために、慈愛をささげる活動を積極的に行っていた心清らかな女性でもありました。優しくて美しくて、強い彼女と、いっしょに生きていく。そう思うだけで、わたくしは泣きたくなるほど胸がいっぱいになりました。彼女はどうしてわたくしといっしょにいてくれるのかな。そんなの、勇気がなくて尋ねられなかったですよ。
わたくしが軍に入り、数年が過ぎたでしょうか。
わたくしの国で大規模な無差別テロが起きてしまったのです。
わたくしの国のトップは、報復戦争に乗り出しました。自分が行くのでもないくせに。
末端の兵隊であるわたくしは、いやだということもなく、最前線へと飛ばされるに至りました。仕方がないことと言えば、そうかもしれません。ああ、だけども。わたくしは怖かったのです。
軍に所属し報酬を得て生活をしている僕ではありますが、わたくしは、怖かった。死ぬかもしれないと思うと、震えがどうしても止まることを知らなかったのです。そう思う一方で、過激なテロ集団の犠牲に彼女が犠牲になる可能性があると思うと、戦場へ立たねばならないという義務もありました。
でもでも、死への恐怖は、どうすることもできません。
暗闇がわたくしを飲み込まんとして、這って追いかけてくる。
アレクサンドラに、わたくしは自分の思いを吐き出しました。あれほど焦って、泣いて、震えたのは、初めてかもしれません。
すると、彼女は自身のロザリオを、わたくしにそっと握らせたのです。
「神様はいつもあなたを見守っているわ。絶対に、守ってくださるわ、だから、だいじょうぶ」
わたくしは祈りました。
子どものころ、苦しいなかで、なぜ神はわたくしを救ってはくださらないのかと呪ったわたくしが、一心不乱に祈りまくったのです。
神様。神様。
キリストよ。
イエス・キリストよ。
わたくしは、幼いころから飢えに苦しみ、暴力に耐え、なんとか生きて参りました。泣きながら地べたを這いずり回り、空いた腹に泥水を、塵をかきこみました。雑草を食み、ここまで生きて参りました。わたくしは神を信じていません。ですが、お祈りいたします。あなたを信じたい。だから、だから、お祈りいたします。死にたくない。死にたくない。愛するアレクサンドラと添い遂げること。それがわたくしの生涯ただ一度あなたにお祈りします。愛するアレクサンドラと生きたい。だから、その願いのために、わたくしは死にたくないのです。
神様。神様。
キリストよ。
どうか、わたくしを、わたくしを、御救いください。
わたくしは戦地に赴きました。
砂埃が舞い。
銃弾がどこまでも追いかけてくる。
仲間が死んだ。
死んだ仲間を踏んで走った。
少年少女の腹の中に爆弾があった。
血と、肉と、死の香りが、髪にこびりついて離れない。
爆風で割れた硝子が降ってくる。
神様、神様、神様、どうぞ、どうぞあなたの愛をお恵みください。わたくしは、死にたくない。わたくしは、帰りたい。国に帰りたい。
数年にも続いた報復戦争が終わるころには、わたしは、げっそりと痩せていました。なんとか、生きて帰ることができたのです。
アレクサンドラ。
アレクサンドラ。
アレクサンドラ。
ポケットにしまったロザリオの鎖は千切れ、十字架のみが残っていました。わたくしは、それを握り締め、泣きました。十字架を背負った主。泣きました。地獄から、帰ってこれた。もう、地獄じゃない。地獄から、わたくしは帰ってきた。
帰還したわたくしは、地獄を夢見ていました。
戦地でのできごとがずっとずっとくりかえしている。テーブルからチラシが落ちる小さな物音でさえ、恐怖の対象でした。
だれかがわたくしを殺そうとしている。
だれかがとなりの少女に爆弾を持たせている。
だれかがわたくしの近辺をうろついている。
だれかが刃物と棍棒を持って襲い掛かってくる。
妄想です。
幻想です。
勘違いです。
だけれども、打ち消せない。恐ろしいことです。
戦地での絶望がわたくしを、苦しめているのです。
それを救ってくれたのはアレクサンドラでした。
わたくしをそっと抱きしめてくれました。
ああ、アレクサンドラ、アレクサンドラ。
泣きました。
わたくしの打った銃弾がだれかに当たり、死んだかもしれない。
わたくしは人殺しだ。罪を犯した。
アレクサンドラは、神の御言葉をささやいてくれました。
神の愛を、説いてくれた。
教会へ連れてゆかれ、主なる救世主はわたくしの罪を許してくださっていると、信仰の暖かさを教えてくれた。
不思議と心がちょっと軽くなったのを覚えています。また、ここで涙しました。ありがとう。わたくしはもう二度と、戦地などにはいかない。神の慈悲を胸に、至極穏やかに生きたい。あなたとともに。アレクサンドラとともに。
誓った直後の事でした。
アレクサンドラが死 ま 







(―長大な欠落―乱雑な走り書き、インクがにじんでいるために判読不可能)







理由はアルビノでした。
この世界には馬鹿な迷信があります。アルビノの耳、歯、目、鼻、肝、心臓というのは、お守りになるというのです。なんの、というのは、みなさまの想像にお任せします。あえて申し上げるのならば、人間が持つであろう欲求すべてに効力があると、だけ言っておきましょうか。
アレクサンドラの肢体は、散らばっていました。
一本の腕が椅子の上に。
もう一本がテーブルの下に。
足がちょっと離れた窓際に二本。
首と胴体はテーブルの上にありました。
さらさらした長い白銀の髪は紅く、黒に色へと変わっていました。
彼女の綺麗な目が、ありませんでした。
空のような美しい青色。わたくしを見つめていた空の瞳。あの、美しい宝石の瞳が。
耳も。鼻も。歯も。舌も。全部。
胴体はもっと無残でした。いろんなところが開いていて、骨が起立し、長い長い腸が垂れていました。
わたく し   が た  と愛 たアク

                   た

  べ
                                魔
        

(−長大な欠落−何かを記述した後が見られるものの、上から塗り潰した痕跡)


    死
                 
彼女
                   善

                ぶ
              
             

 吐                        嘔吐

     骨     た

     あ           ま

    く    あ                肉


                                  愛

が       ゆ 
                る




アレクサンドラ。
わたくしは、慟哭いたしました。
だれかの幸福のために、アレクサンドラは死にました。
わたくしが祈った神はわたくしを生かし、彼女を死に追いやりました。
わたくしは絶望しました。
主なる救世主は、この世界のすべての罪を一身に背負い、人間が無事に天の扉を開けるように十字架にかけられて死したのです。
アレクサンドラを殺した者たちの罪も、十字架の彼は許すのでしょうか。
私利私欲のために、アレクサンドラを殺した者たちは、天の扉を開けるのでしょうか。
わたくしの幸福と光と希望を奪った者たちもまた、アレクサンドラの行った神々の王国で生きるのでしょうか。
このような、馬鹿なことが許されるのか!
そうなのか!
神とは、神とはそんなものなのか!!
こんなものか!
神が!許す!許す!
ふざけるな!!
アレクサンドラが!!
アレクサンドラ!!
信じた!
信じてた!
嘘!!
返せ!!
彼女を!
畜生!畜生畜生畜生畜生!!
いい加減にしろ!!死ね!!
地獄へ落ちろ、死ね、死ね、死ね!!
苦しむ!
死ね!!死んでしまえ!!
殺す!殺す殺す!殺す殺す殺す!!
わたくしは行き場のない感情に悶えました。朝だろうが夜だろうが構わずに叫びまくりました。暴れました。アレクサンドラとの思い出が詰まった小さい家の中で。花瓶も、椅子も、テーブルも全部壊れました。食器も。ぜんぶ。ぜんぶ。思い出も。笑ったことも、喜んだことも、安らぎも、癒しも。ぜんぶ。ぜんぶ。わたくしはアレクサンドラとの想い出を壊しつくしました。
そして、さまざまなことがあって、曲折があって、いま、この神父という役についております。
不思議なこととは思わないでくださいね。
わたくしは弱い人間です。
すがるものを亡くしたわたくしには、神しかすがるものがいなかったのです。
彼女が信じた神にすがるしか。
彼女が愛した神をあいするしか。
だから、わたくしは。
わたくしは、神を批判しつつも、神へと仕えているのです。
わたくしは、神の愛を武器に取りました。
わたくしは、神の愛をつぶやきながら、この世の悪を滅ぼそうと思います。
わたくしは、十字架の彼の代わりを致します。愛与え、許すしか能のない役立たずに代わり、罰と苦痛を与えるのです。
天の扉を開き、そこが神の王国であるとは限らないと教えます。
彼らをけして、わたくしは許さない。
彼らがアレクサンドラが居る王国へ行くことを許さない。
魔王ルチフェロ。神に逆らい、落ちてしまった天使へ、わたくしは捧げたいと思います。
ルチフェロは優しく、彼らに愛をこめ、いつくしみ、どこまでもどこまでも深く、深く深くを接吻を繰り返すことでしょう。
あの裏切り者の「イスカリオテのユダ」のように。
                           

                            エリオット・アルバート

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